2019/03/25

牙を剥け

4月から社会人になるにあたって、たまにブログを更新するようにしたいと思う。

18年間学生をしてきたわけだけど、4月からは違う。正確にいえば3/29からはもう違う。端的に嫌だという感情しか出てこない。
今まで身近な人に社会人がいなかったことが実感の湧かなさに起因している気がする。母親は専業主婦で父親は自営業だから。そういう家で育ってきたからか、逆に何かに反抗したいからなのか、昔から何かに捉われるのは好きじゃなかった。自由で言う通りになる世界が好きだったし、型にはまっているような人間とか、そういう人の生き様を素敵と思わない人種なのだ。

はっきり言って、僕は人に合わせるのもルールに従うのも苦手じゃない。大学に入ってからは唯々それの連続でしかなかったから。クソみたいな勉強をして、クソみたいな飲み会に行き、クソみたいな先生に気を遣う。人並みには上手にできる方だと思っている。おかげで大学生活や就活もぼちぼちなんとかなった。

しかし自分の中の中学生はいつもくだらないと思っている。従うことそのものに馬鹿馬鹿しさ、あほらしさを感じる。仮面舞踏会の操り人形になることに。顔を仮面で覆った人たちが作った社会の中で踊らされ、そしていつの間にか自分が人形なのか仮面なのか分からなくなる。
誰もがくだらないと思っているように僕も思っている。そして誰もが社会で文句を言わないように、僕も文句を言わない。

はっきり言って、受験に失敗しているということを除けば、僕は成績もよく、課外活動も遊びもほどほどにこなしている、模範的な学生であることは間違いない。人前では謙虚になることもあるが、要求されたことを最低限こなしてきただけで学生はそれぐらいにはなる。
だけどそれは僕が中学生以降のことであり、小学生のときはとんでもない悪ガキもいいところだった。中学受験をしたので進学塾には通っていたが、学校では、授業をサボり、先生を呼び捨てにし、学校内の問題児ばかりと付き合っていた。真面目に授業を受けている女の子も、算数ブロックで一生懸命教えている先生も、九九を覚えない問題児も同様に馬鹿にしていた。同窓会で会った、小学校時代の友人は目も当てられないようなDQNで品のない奴らだった。はっきり言って今現在彼奴らと仲良くできるかと言ったら嘘になるが、少なくとも餓鬼んちょの頃はそのグループにいたのである。当然、毎日のように先生には怒鳴りつけられていた。
でも、法外な学費を中学受験用の塾に支払っていたので勉強は誰よりもできた。だから学生の本分である勉強さえできれば授業も聞かなくてもいいだろうと思っていた。

中学高校の勉強は案外難しいのでそうは思わなかったし、先生たちも素晴らしい人も多かったからサボるなんてことは一度もしなかったけど、大学は可能な限りサボった。出席は可能な限り代行してもらった。勿論、自分の中の最低限は全てこなしたので、特に問題はなかった。
大学院になって、研究室に入り、就活をすると、それが偉いという時代はとうの昔に終わっていたらしいことに気付いた。ふと、自分が馬鹿にしていた真面目に何かをする人たちが正しいとされる小学校に戻っているような感覚があった。

でもよくよく考えれば、言われたことが出来るという能力は、中学生や高校生ではなく、小学生や就活生、社会人に要求されることなのかもしれない。所詮は飼いならせる存在であることが重要だというのか。大人になるってそういうことなのか。
俺は全然そんなふうになりたくない。いつだって間違っていると思ったら反抗したい。周りに常に目を向けて、嫌われないように、気に入られるように、過ごしてて、楽しいのか?楽しい人はそれでいい。だけど俺はそうはなれないし、そうなれっていう奴になんか絶対になりたくない。気遣いが社会で一番大事なんだぞ!とかいう奴になってたまるものか!!

とか書いてみて、僕はきっと社会人として何十年も作り笑顔をして、上手に操り人形になる気がする。
僕らは最初は歯向かってもそのうち仲間になって優秀な戦力となるピエールである必要があるんだなと思った。ピエールなんて、100回ぐらい聞いた名前を付けてもらえてうれしいです!と言えるようにならなきゃいけないな。

でも、これを読んだあなたが、もし何かに耐えかねて、自分の中の鋭い感情を失ってしまっていたのなら、ふと牙をむいてみることも大事なんじゃないでしょうか。

学生から社会人という、生涯一度の変曲点での自分の気持ちを忘れたくない、出荷予定の歯車でした。